職場での人権は誰にでも等しくあることを知って欲しい!
職場では、労働者に人権とは本当にあるのか?と思ってしまうような、理不尽かつ身勝手な言動が横行しています。しかし職場にも当然に人権はあります。このページでは、日本国憲法13条を用いて、職場にも人権があることを説明します。
正社員だから安心?雇用不安は対岸の火事ではない。職場で人間宣言、の必要性
職場での人権は誰にも平等にあります。それは日本国憲法を最上として国家が成り立っている日本国では、絶対間違いありません(他国の場合でも、それは間違いないと私は思っていますが)。
会社の経営者も、上司も、皆同じです。キャリアがあろうが無かろうが、英語がペラペラだろうがそうでなかろうが、難関国家資格を持っていようがいまいが、プレゼンテーションがうまかろうが下手だろうが、営業成績が良かろうが悪かろうが、皆に等しく人間として幸せになる権利があります。人権はあるのです。
どうやって「職場での人間宣言」をするか
職場で個々の人権を軽視した、よく聞く言葉を挙げてみたいと思います。
- 「お前は仕事が出来ないのだから、何を言われたって文句は言えないんだぞ」
- 「何!?有給休暇?何それ?売上上がって無いんだぞ。お前たち従業員のせいだぞ!そんなこと言ってるうちに仕事しろ!」
- 「君はバイトだから、不景気になったら自ら身を引かねばならないのだぞ。それも承知のはずだ」
- 「仕事というのは、嫌なものだと相場は決まっている。何を言われようが我慢するは当たり前だ。」
- 「確かに今回の減給は腹が立つが、俺たちは所詮雇われの身だから何も言えない」
- 「仕事を与えてやっているんだぞ。そんな身分で口ごたえするとは何事だ!」
- 「そんなに気に入らないなら、辞めてもらってもいいですよ?」
・・・挙げればキリがありません。上で挙げた言葉は、労働者である方ならば、一度は聞いたことがあるでしょう。それくらい、これらの悪魔じみた人権軽視の言葉は社会に蔓延しているのです。
そして、多くの労働者の方が、この言葉に洗脳?されて言われたままになっているのです。雇われの身であるから・・・などと考えるのは洗脳されて人権を放棄してしまっている典型例と言えます。
この傾向は実力主義社会の中で、急速に発展、悪化してきました。仕事が出来ればそれでいい、出来ない奴は会社内では「犬のクソ」だ、人格なんて関係ない・・・と実力主義を都合いいように履き違えた経営者によって、労働の現場に行きわたったのです。
労働者も、自分の身を守るために、少ない給料の中から身銭を切って資格試験を勉強し、他の労働者と差別化を図るのに躍起になっています。弱い者は、何をされてもしょうがないのだ、と言って。でもハッキリ言わせていただく。
何がしょうがないんだ!そんな言葉で片づけられても、不利益を受ける労働者は納得できないんだ!
職場での、いや、全国民の人権の最後の砦、日本国憲法第14条!
人権は誰でも等しくあるものです。特に我が国では、人権については素晴らしい憲法を持っているのです。以下で、私が「人権は誰にでも等しくある」と言う根拠となる条文を挙げます。
日本国憲法第13条 [個人の尊重 生命・自由・幸福追求権と公共の福祉]
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。 」
日本国憲法第14条第1項 [法の下の平等]
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
13条の、「個人の尊重」は日本国憲法で一番大事な思想であると言われています。日本国憲法に流れる基本思想は、個人の尊重なのです。ということは、14条の法の下の平等の原則と相まって、誰でも等しく幸せになる権利がある、と言えるのです。
ここで注意しなければならないことがあります。13条に出てくる「公共の福祉に反しない限り」、を勘違いしている人がとても多くいます。勘違いしている人は、「全体の利益のために個人の利益・人権は犠牲になってもいい」と考えています。しかし、それは大いに間違っているのです。
公共の福祉とは、「自分の権利」以外の「他の人権」です。つまり、他人の権利を害してまで、自分の権利をごり押ししてはならない、という考えです。自分の権利の譲歩を伴う時は、正当な補償を請求できるです。多くの経営者は、会社(全体)の利益のために、労働者(個人)の利益が害されるのは致し方ない、と誤った理論を振りかざすのです。
労働者の皆さんは、自分の権利が侵害されたら、声を大にして、正当な扱いを要求してもいいのです。正当な扱いを望むことは、人間本来の健全な欲求であり、日本国憲法でも特に強調された権利なのです。一体誰が、正当な理由で、あなたの要求を批判することが出来ましょうや?
私は、震えながらも、ドキドキしながらも、自分や自分の家族のために立ち向かうあなたを心から尊敬します。